奨学金問題って、どうすれば解消されるのか?

もう結構前から、マスコミにも取り上げられている「奨学金問題」。
どうすれば解消されるんでしょうね。

例えば、「大学授業料を無償にすべきだ」とか、
「OECD加盟国中、給付型奨学金が無いのは日本だけ」とか、
「奨学金じゃなくて、これじゃただの学生ローンだ」とか、
「大学に行きたくて金を借りたんだから、返すのが当たり前」とか、とか。

奨学金については、みなさん、様々な意見をお持ちで、私は、上記の主張はいずれも正しいと思います。
奨学金の問題は、「奨学金」だけを見ていては(予算まで視野を広げたとしても)、解消されないものだと思いますので、色々な意見があって当然です。

でも、ただ意見を持っているだけでは、先には進みません。

時に、「教育」の意義について考えてみる。
教育する側と受ける側で考えも変わってきそうですが、例えば「する側」からすれば、「人を育てる」色彩が濃いような。
でも、「人を育てる」といっても、社会に目を向けると、それを「投資(人は、経営資源の根幹ですからね!)」と捉える企業もあれば、「コスト(人件費)」と捉える企業もあります。
もちろん、その両方という意見、折衷という意見、「育ててもらおうなんて甘い!」というスポ根的ご意見もあるでしょう。

どう捉えるべきなのでしょう。

時に、憲法第26条第1項を読んでみる(カタ過ぎる・・・)。
「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とありますが、「その能力に応じて」とは、何を意図しているのか。
「ひとしく」とは、どういうことなのか。

どう捉えるべきなのでしょう。

時に、大学に進学することの意義を考えてみる。
時に、高校教育の在り方について考えてみる。
時に・・・

これまでに本ブログにアップされている内容と比較すると、ノリの違いに愕然としますが、この団体にも、色々な会員がいる(生物多様性?)ということで、ご容赦ください。

でも、上述したようなことを、飲みの場で同僚や知人と、ご自宅で家族と、どこで誰とでも結構ですから、少し話題にしてみてはどうでしょう。
意外と、会話が長く続いたり、熱くなったりするかもしれません。
その繰り返しによって、言論活動による人格の発展に繋がり(カタっ!)、問題意識が世間で共有されていき、民主政治への貢献に繋がり(カタ過ぎる)、奨学金問題の解消に至るような気がするのです。

埼玉奨学金問題ネットワーク
会員 司法書士 達脇清将
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